東京高等裁判所 昭和36年(う)879号 判決 1961年8月03日
控訴人 被告人 榎本辰雄
弁護人 黒須弥三郎
検察官 寺尾樸栄
主文
原判決を破棄する。
被告人を拘留二〇日に処する。
原審並に当審訴訟費用は被告人に負担させない。
理由
本件控訴の趣意は、被告人並に弁護人黒須弥三郎提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用する。
ところで職権により本件記録を精査し、原判決を仔細に検討するに、本件起訴状記載の公訴事実は「被告人は昭和三五年一二月一三日午後六時二五分頃、東京都台東区浅草雷門二丁目五番地先道路において、同所を通行中の竹中菊三に対し「実演と映画を見ませんか」等と申し向け、迷惑を覚えさせるような仕方で同人につきまとつたものである。」と謂うにあるところ、原審は本件を簡易公判手続によつて審判し、罪となるべき事実として、右公訴事実と同一の事実を認定し、これを認めた証拠として、一、被告人の原審公廷の供述、一、被告人の司法警察員並に検察官に対する各供述調書、一、現行犯人逮捕手読書、一、竹中菊三の司法巡査並に検察官に対する各供述調書等を掲記し、軽犯罪法第一条第二八号に該当するものとして処断していることが明らかである。ところで、刑事訴訟法第二九一条の二の規定によると、簡易公判手続によつて審判することができるのは、被告人が被告事件についての陳述に際し、起訴状に記載された訴因につき有罪である旨の陳述をした場合に限られるのであつて、その趣旨は、被告人が訴因事実の総べてを認め、これについて自己の刑事責任を肯定することを要するものと解せられるところ、原審第一回公判調書の記載によると、被告人は被告事件についての陳述に際し、「その人に声をかけたことは確かですがつきまとつた覚えはありません、しかし、悪いと思つていますから争いません。私の刑事責任は認めます。」と供述していることが明らかである。よつて考察するに、軽犯罪法第一条第二八号は「他人の進路に立ちふさがつて、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとつた」所為を処罰の対象とするものであり、被告人の所為は右後段に該当するものとして起訴せられているのであるから、他人につきまとうことはその犯罪構成要件の一部と謂わなければならない。しかるに被告人は前記のとおり、相手方につきまとつた覚えはないと陳述し、明らかに訴因事実の一部を否認したものと認められるから、被告人はたとえこれに続いて、しかし悪いと思つていますから争いません、刑事責任は認めますと陳述したとしても、これによつて訴因事実を全部認めた趣旨とは解し難い。なお、右公判調書によると、被告人は被告人質問に当つて弁護人の「その客に声をかけたことは事実ですね」との問に対し、「その人にバンかけたことは間違いありません。」と供述しているが、それ以上詳しい問答のなされた形跡がなく、右問答によつても被告人が訴因事実の総べてを自認したものと認めることは困難である。果して然らば、本件は簡易公判手続によることを得ない場合であるに拘わらず、原審は簡易公判手続によつて審判し、適法に証拠調べを経ない前記証拠によつて右原判示事実を認定した誤りを犯したものであつて、右訴訟手続法令の違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点において原判決は到底破棄を免かれない。
よつて各控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第四〇〇条但書に則り原判決を破棄した上、当裁判所において自から次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は昭和三五年一二月一三日午後六時二五分頃、東京都台東区浅草雷門二丁目五番地先道路において、同所を通行中の竹中菊三に対し「実演と映画を見ませんか」と申し向けながら追随し、よつて相手方に迷惑を覚えさせるような仕方で同人につきまとつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の所為は軽犯罪法第一条第二八号に該当するので、所定刑中拘留を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を拘留二〇日に処し、原審並に当審訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書に則り被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 目黒太郎)
被告人榎本辰雄の控訴趣意
一、原審に於ては起訴状記載の被害者竹中菊三氏に対し私が実演か映画でも見ませんかと同人に申向け其の身辺に追従し迷惑を覚えさせたとして有罪判決をされましたが
一、私は被害者竹中菊三氏には一歩も付き纒つた事実はなく被害者は浅草松屋の方より映画館所在地の方向に歩いて居られ其れとは反対に松屋の方向に歩いて居たので起訴状起載の同所同時刻頃私と被害者とは対面的に声を掛けたに過ぎませんし浅草警察署における事実取調べの際にも私は被害者の身辺には一歩も付き纒つたとは供述致して居りません。
一、只検察庁へ行つた時取調べ担当の事務官が御前は一年も来なかつたから今回は寛大にしてやるからと申された故私は略式に依る科料刑にして呉れるものと誤信し事実を全面的に認めました。
一、然るに其れより半月も過ぎて突然起訴をされたので私としては実に意外でした。
一、然し原審判定が事実誤認である証拠は私は被害者の身辺に追従して居る時に警察官に逮捕されたのではなく巡査が私を発見逮捕されたのは其れより約五分も経過して居る時です。従つて被害者と称する人は私が声をかけた人か否か判然して居りません。
一、私は逮捕時直後より被害者と称する人とは会つて居りません。従つて被害者も確かに私であると云う供述は一件記録に申述べて居りませんし只年五十才位のオーバを着た男でしたと云う漠然とした人定供述です故に私は被害者と称する人は人違いと思料いたします。
一、故に控訴審に於て御手数でも被害者を証人として喚問して頂き人違いの事実及び私が其の人の身辺に追従して迷惑を掛けたかの事実を御取調べを願い度く再度控訴をいたしました。